一口にガン保険といっても
生ある者の宿命は、いつかは死ぬということです。生の時間とは、生まれてから死ぬまでの、活動的な時間に過ぎないのです。誰しも、いつかは、どのような事が原因であれ、結局、死という瞬間を迎えざるを得ないものです。
わが国内で、病気で死ぬ人のもっとも多いのは、相変わらずガンであるようです。次いで、脳卒中、心臓病と続きます。しかし、ガンという病気は、なくならないものです。実は、ぼくの叔母もガンで亡くなっているのです。
ぼくとお袋が駆け付けたときは、もうすでに、叔母さんの意識は朦朧としておりました。それでも、お袋が叔母さんの名前を繰り返し呼ぶと、うっすらとでしたが目を開けて、やせ細った叔母さんの顔が、お袋を見つめ、僅かに微笑んでおりました。そして、二三度、ゆっくりと頷くのでした。これが、お袋と叔母さんの今生最後のお別れでした。
人の死は、それが誰であれ悲しいものです。死んでもいいなんて人間は、この地球上に誰もいないのです。皆、生きる価値があるから、生を受けて来たのに違いないのです。でも、ロシアのトルストイは、こんなことを言っております。
“君が生まれて来たときは、君は泣いたかもしれないが、周囲の人は、皆、喜んで笑っただろう。これと同じことで、君が死んでいく時は、周囲の人たちは悲しんで泣くだろうが、君だけは、笑って死んでいけるようにしたまえ”とのことでした。つまり、笑って死んでいけるような生き方に努めよ、それが人の生き方としてもっとも尊いのだと言うのです。
さて、ぼくの叔母さんですが、息子たちがしっかりとガン保険に加入させていたのでした。ですから、治療費、入院費などは、てっきりその保険から全額支払われると思っていたらしいのです。ところが、実際は違っていたとのことでした。“これは、おかしい!”と、ちょっとした騒ぎにもなったのだそうですが、どうやら同じガン保険といっても、その種類によって支払われる金額がゼンゼン違ってくるとのことでした。
つまり、叔母さんはガンが発見される前から入院していたのですが、その保険から入院費などが支払われるのは、ガンだと医者が認めた時点からなのだそうです。具体的な金額までは、知るよしもありませんが、ともかくかなり違ってくるとのこと。こんなことなら、もっと最初からそういう契約にしておけばよかったとこぼしておりました。
一口にガン保険といっても、その内容、また契約の仕方によって違いがあるなんて、普段、健康な毎日をおくっているぼくたちは、ほとんど意識しないことであります。これって、意外な落とし穴ですよね。